2019-01-01から1年間の記事一覧
ベイトソンの『精神の生態学』は当時の私には安くない本で、「大学の卒業記念に」と大型書店で購入したのを覚えている。もう10年以上昔のことになってしまった。 「イルカはどのようにして新しい芸を学ぶのか?」という話(「ダブルバインド1969」)を囚われ…
第1章で扱われている問題は「『情報化社会』とは何か」である。この問題に対して本書は、「情報化社会」は空虚な記号であり、技術予測の名を借りた未来社会への願望にほかならないと断じる。 まずこれを示すために、「情報化社会」は実体が存在しない空虚な…
ファーストキスから戦争まで——。 一見無関係な両者に「踏み越え」という共通項を中井はみてとる。「踏み越え」とは広く思考や情動を実行に移すことであり、言語よりもイメージよりももう少し以前の《もの》に触れることで引き起こされる。この《もの》は、同…
母が学芸大の修士課程で発達臨床心理学を学んでいた頃に薦めてもらった本だ。 ある詩からの印象深い引用がある。 人が口にしたり書いたりするなかで、いちばん悲しい言葉、それは《かもれなかったのに》(35,6) 私は何度もこの言葉を吐いてきた。辞めざるを…
東浩紀の発言のうち、気になったものを私の主観でまとめた形を載せる。 「哲学は概念の発明だ」 by ドゥルーズ・ガタリ引用と参考文献の世界ではなにも言えない。発明なんてできない。デモに行くときは発明なんていらない。発明の場所はなくなってしまった。…
考えすぎる人は何もできない。頭を空っぽにしなければ、行為できない。(35) 本論の中心的な命題だ。千葉は続ける。 考えすぎるというのは、無限の多義性に溺れるということだ。ものごとを多面的に考えるほど、我々は行為に躊躇するだろう。多義性は、行為…
前々回、スマホを持たないときに不安を感じるのだとしたら、スマホによって私達の身体は変容しはじめているという話を載せた。《モノ》は「人間による働きかけや意味づけを待っているだけの受動的な存在ではなく、人間の行為や認識を方向づける力を持ちうる…
youtu.be この動画を見ながら科学人類学者であるブルーノ・ラトゥールのアクターネットワークセオリー(ANT)について学んだので、少しメモを残したい。 『法が作られているとき』では、フランスの行政裁判所でどのように法(フランス行政法)が解釈され作ら…
私達の《あたりまえ》を揺るがすような印象的だった一節から書き始めたい。 自然と不自然、本物と偽物のあいだには、ちょうど、眼鏡とサイボーグのあいだにあるのと同じ差異が感じとられている(30) 技術は人間や自然の本性を変化させると考えられている。…
本書は哲学者の千葉雅也とAV監督の二村ヒトシ、現代彫刻家でフェミニストの柴田英里による性的欲望の問題を中心とした結構過激な鼎談だ。はやく読みたすぎて発売日の深夜にKindle版を購入して読んだ。なので、引用の括弧内はページではなくKindleの位置ナン…
私の博論の中で最も重要な論文の感想を書きたい。異なる関心を持つ人々がどのようにしたら協働できるようになるのか、というテーマの論文だけれども、Abstractを読んでみると協働のうちでも特定のものに焦点が当たっていることがわかる。 Scientific work is…
「甘え」とは何か。まずはその定義から確認したい。 「甘え」は親しい二者関係を前提にするとのべた。一方が相手は自分に対し好意を持っていることがわかっていて、それにふさわしく振舞うことが「甘える」ことなのである。(3,4) 土居はこの「甘え」という…
序論では文化人類学がなにを目指している学問なのかが説明される。目を引いたのはこの箇所だ。 〔フィールドワークという身体的経験〕には、ある種のカルチャーショックをともなう身体経験を介して、既存のことば=概念がとらわれてきた世界認識を刷新したい…
ムジールの小説『特性のない男』に登場する図書館の司書は全部の本について識っている。それは、一冊として中身を読まずに、目録だけを読むという方法によってだった。 ムジールの司書の賢明さは、「全体の見晴らし」というその考えから来ている。私は彼が図…
自他の区別が今大きく揺らいでいる。(74頁) 私とその他の事物との境界は皮膚だ、というのは当たり前のような気がするが、この本を読むまであまりそうには思ってこなかった。誰かの肩に手のひらを載せるとき、触れているのは確かに皮膚だ。皮膚なのだけれど…
この章の第2節「自分だけのスタイルに向かって」では安部公房『砂の女』で、昆虫採集を趣味にしている青年が砂原の窪地に落ちてしまい出てこれなくなってしまう場面が取り上げられる。これは前節の「井戸的実存」の話の続きである。ここで青年はカラスを捕ま…
「弱さ」とはなにかという問題をフラジャイルという言葉の消息を求めることで見つけていこうというのがこの本の目的だ。多様な文学作品への言及、多様な言い換えの中をさまよい続けさせられて「結局フラジャイルとはなんなのだ?」という思いに駆られるが、…
「誰もが、他者の身に起こることに忍びざるものがある(人皆有所不忍)」。[...] 誰にとっても、他人が不幸に沈んでいる時に、無関心でいられず、反応を引き起こすものがあるということ、それが「仁」なのだ。(34頁) この「忍びざる反応」とはなんなのか。…
人間から固有名を剥奪し、単なる「素材」として「処理」する、抽象化と数値化の暴力である。人間は世界を抽象化し数値化する。それはあらゆる知の源泉である。けれどもその同じ力は、人間を限りなく残酷にもする。 (310頁) この暴力性に気がついているひと…
このテーマに関連のある身の回りで関心を持っていることは、ジェンダーとLGBT(Q)を巡る問題だ。「緩くすべてを包摂してあげるからね」というマジョリティの態度に「私の当事者性はそんな言葉とは違う!」と怒りの声をあげるマイノリティという構図をよく見か…
土井善晴の「一汁一菜」の提案には助けられている。 料理の中で一番億劫になるのは、「夕飯どうしよう」と考えているときだ。買い出しのタイミングなどを考えるとお昼ご飯が消化しきらないうちに考え始めなければならない。端的に苦痛だ。しかし、「一汁一菜…
とりあえず読んでる途中でもアウトプットする!