浜田明範(2018)「アクターネットワーク理論」(『21世紀の文化人類学』所収)

前々回スマホを持たないときに不安を感じるのだとしたら、スマホによって私達の身体は変容しはじめているという話を載せた。《モノ》は「人間による働きかけや意味づけを待っているだけの受動的な存在ではなく、人間の行為や認識を方向づける力を持ちうる(103)」のだ。私達はスマホとつながっている。また、スマホは充電器や中継局とつながっている。人間・非人間からなる多様な「アクター」の織りなすネットワークがここに形成されているのだ。現象を理解するにはこうしたネットワークへの理解が欠かせないというのがアクターネットワーク理論(ANT)の特徴的な主張だ。技術決定論でも社会構築主義でもない新しい立場といえる。

人間と非人間、《モノ》を同列のアクターとして扱う発想には面食らうかもしれない。それは、私達が人間/非人間、社会/自然という区分を疑うことなく受け容れているからであって、ANTはこうしたカテゴリーの分け方を再検討しようとしている。異なるカテゴリーは別々に存在しているのではなく、相互に絡み合ったネットワークを形成して、特定の現象を可能にしているのだ。

ネットワークは形状を変える。カテゴリーの独立性と自明性は揺らぐ。《モノ》は受動的に意味を与えられているのではない。「ANTでは、アクターのネットワークがそのような意味の体系を変容させる状況を説明できる(106)」のだ。これは大変魅力的な特徴だ。

ところで私は、バウンダリーオブジェクトという《モノ》の研究をしている(詳細はこちら)。これまでの私は、人間のコミュニケーションありきでこの話を考えていたことに気付かされた。オブジェクトは人間の意味付けを待っているだけの受動的な存在だと考えていた。違うのだ。オブジェクトは私達を作り変えるのだ。しかも、オブジェクトと私達の関係は並列的な同じ地平にあるネットワークになっている。

例えば、プレゼンで使用されるグラフはバウンダリーオブジェクトの一例だ。グラフが説明難しい動きをしているとき、参加者たちのあいだでディスカッションが起こり、これまでになかった関係性が生まれる、といった説明がなされている。このとき、私達とグラフは同列のアクターであると考えるとどう現象を説明できるだろうか。これまでの説明とは違う斬新な視点が得られるだろうか。

バウンダリーオブジェクトには、特定の1つの解釈を与えることが難しいという特徴がある。このあいまいさによって、個々人が自分の文脈に引きつけて解釈を行うから議論が生まれるわけだ。ここでオブジェクトの能動性を強調して、『あいまいさは関係を組み替えるパワーを持っている』と考えてみてはどうか。安定したネットワークは、オブジェクトの持つあいまいさというパワーによって動揺する。変容の契機が生まれる。

例えば、友達以上恋人未満の二人の間で突然に花束が贈られたとしよう。この花束というオブジェクトがなにを意味しているのかを一意に定めることは非常に難しい。この花束はあいまいさのパワーを持っている。贈られた方だけでなく、贈った方も動揺する。《私―あなた》という二者関係は、《私―花束―あなた》という三者関係に移ることで、もう以前とは同じではいられなくなる。動揺と変容。なにかが始まるかもしれない、終わるのかもしれない。

終わらせないためにはどうしたらいいのか?これがバウンダリーオブジェクトのもう一つの議論だ。関係の変容を促すオブジェクトは、しかしながら同時に、関係をゆるく繋ぎ止めなくてはならない。元の論文には「オブジェクトは頑健性を持っている」と書いてあるが、私にはその意味がよくわからなかった。きっと、バウンダリーオブジェクトはあいまいさのパワーだけでなく、頑健さのパワーも持っているということなのだろう。ネットワークを頑健なものにするパワー。

ネットワークの頑健さは冗長性によって保たれている。鉄道ネットワークは迂回路がたくさんあるという冗長性を持つから、一つの路線が止まってもだいたいの場合目的地にたどり着ける。迂回路。《私》から《あなた》に至る別の経路、迂回路。例えば、先のネットワークに《誕生日》というアクターがあったらどうだろうか。《私―花束―あなた》という経路は、《私―誕生日―あなた》としても理解可能だ。この迂回路があれば、『ああ、誕生日の花束なのね』と動揺を鎮めることもできるはずだ。花束によって確かに関係のネットワークは変容する。しかしこの迂回路があることで、このネットワークが散り散りになることは避けられる。

ではこの《誕生日》というアクターはなにものなのか。誕生日はどういうもので、どういうことがなされやすいのかということは非常にパターン化されている。みんなで祝い、ケーキの火を消し、プレゼントが贈られる。ここで、パターンと冗長性が同義であることに注目すれば、《誕生日》とはネットワークに高い冗長性を与えるアクターなのだ。優秀な迂回路というわけだ。

ここまで、ANTの発想を私の研究に繋げる試みをしてみた。思考の出発点としては悪くない。このたとえ話を使って、いろいろなひとと議論していきたい。