アート系トーク番組 art air(2017)「ブルーノ・ラトゥール 人類学を震源とした新たな動き 人類学の存在論的転回」

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この動画を見ながら科学人類学者であるブルーノ・ラトゥールのアクターネットワークセオリー(ANT)について学んだので、少しメモを残したい。

『法が作られているとき』では、フランスの行政裁判所でどのように法(フランス行政法)が解釈され作られているのかを人類学的に考察した。慣習法であるフランス行政法は、一見合理的に見えるが、実は人間関係や阿吽の呼吸といった非合理的なものから構成されていることを明らかにしている。真理体系は人の構成が変わると変わってくるアドホックなものである。例えば、「判例があったけどみつからなかった」ということが体系に影響を与える。法律は文章からなるが、同じことであっても書く人が異なれば文脈が違い、意味が変わってくる。しかもそれは、人だけでなく《モノ》からも影響を受けると考えるのがANTの特徴だ。

理解のためのキーワードは《存在論的転回》である。関係性に対して、いままでは関係自体に問題意識があったが、《モノ》そのものに焦点を当てようという動きだ。《モノ》=《存在》をどう分析していこうかという動きである。この動きは《多自然主義》と合わさって哲学の主流を形成しつつある。多自然主義多文化主義と対立した考えであり、単一の自然がある上に多数の文化があるというのではなく、自然の多様なアクター(モノや非人間)が私達と切り離せることなくあり、それらとのパースペクティブの転換が不安定に生じるという立場だ。

実在的なものを切り離して主観で考えることを体系化したカントに対して、人間以外の《モノ》に目を向けようとしているのが《存在論的展開》の特徴だ。天動説と地動説の対立に見るように、科学はカントとは反対の方向(「私達のほうが動いている」)に向かっている。しかし、科学も客観性があるのではなく、一つのパースペクティブにすぎないことには留意が必要だ。科学的事実は発見されるものではなく、作られるものなのだ。

この意味で、ラトゥールは《対照性》という概念を持ち出して「近代化などしていない」と言う。シャーマンと近代の科学や医療とは機能は変わらない。親族や呪術、妖術は現代社会でなにに対応するのかを考えるのだ。結局、近代的にみえるものは、その中身はいわゆる前近代の社会と変わらないと分析する。近年言われる《再魔術化》は起きていなく、もともと近代でもはじめから魔術は魔術のままだったのだ。