根本, 達.(2018). 「運動と当事者性――どのように反差別運動に参加するのか」.(『21世紀の文化人類学――世界の新しい捉え方』.)

このテーマに関連のある身の回りで関心を持っていることは、ジェンダーLGBT(Q)を巡る問題だ。「緩くすべてを包摂してあげるからね」というマジョリティの態度に「私の当事者性はそんな言葉とは違う!」と怒りの声をあげるマイノリティという構図をよく見かけるようになった。マジョリティになんの期待をしているのだか…。分からないなりに分かろうとしてくれていたら、なんか違うなという解釈は生まれるだろう。それに対する態度は怒りを向けることではなく、自分の解釈を理解してもらおうとする努力なのではないだろうか。

本章のテーマは「アイデンティティ・ポリティクス」だ。

「自分が誰であるか」を排他的に決定し、所属場所を与えるアイデンティティ・ポリティクスが存在感を増している。民族や宗教の間の違いを強調することで、狭義の当事者性を設定する [...] これは、流動化によって集団間の違いが見えづらくなるなかで、確実な差異を創出しようとする近代的な現象である (226,7頁)

 このアイデンティティ・ポリティクスでは、差別者が被差別者を同じコミュニティのメンバーから排除することが起きるわけだが、そこで『オリエンタリズム』を引いて指摘されることには身をつまされる。

排除する側が排除される側に与えた価値は、被差別者が持っている特徴などではなく、実際には差別者の内側に隠されている一部である。(229頁)

 これは、あらゆる敵対的な関係に当てはまる至言のように思える。嫌いな人の嫌いなところも実は私の内側に隠されている一部なのだろうし、当事者がマジョリティに抱く反感もきっとそういう側面はある。「あいつらは○○だからな」という暴力的なレッテル貼りは常にブーメランにしかならないということだ。

ここでは、マイノリティによるアイデンティティ・ポリティクスの戦略についても触れられている。フェミニズムの歴史とよく重なる記述だ。

権力を持つ側によるアイデンティティ・ポリティクスが現状の権力関係を維持・強化するものであるのに対し、被差別者が取り組むアイデンティティポリティクスは自分たちを排除する社会を変えようとする動きである。この被差別者によるアイデンティティ・ポリティクスの特徴の一つは、マジョリティから与えられた否定的なカテゴリーを自ら用い、その境界線自体は変更しないまま肯定的なものへ改変することで、自己尊厳の獲得を目指す点にある。ただし、アイデンティティへの肯定的な意味づけを生み出す上で、マイノリティは、その社会で自らを排除する支配的なイデオロギーを用いることはできない。そのためにマイノリティは、自分たちに有利に働く「歴史」を描き出す必要がある。(231,2頁) 

 では、マジョリティが「包摂してあげるからね」という態度で接してきたときにはどうすればいいのか。そこに一種の暴力を見出すのもひとつの手だろう。マジョリティが彼らの勝手な想像力で設定されたカテゴリーに押し込められるのは確かに居心地が悪い。ゲットーに入れば最低限の身の安全は保障されますよ、というようなことだ。

当事者が持っているのは「私達には私達のカテゴリーがあるのだ!」と主張して、それを社会の中に位置づけたいという欲望なのだろう。引用した戦略とは随分異なる方法だ。カテゴリーを生み出す能力がマジョリティだけでなくマイノリティにもあるのだろうか。あるとしたらどうやって?

ここで登場するのが「生活世界」という概念である。

日常生活のレベルでわれわれは、生活現場から独立した運動のイデオロギーを参照するのではなく、生活現場に慣習的に根づいてきた論理を基礎として物事を理解している。

[...] それぞれは日常生活において、もともと持っていた枠組みを利用して新たに登場した事物に意味を与え、より受け身のかたちで自分たちが理解できるものへと読み替えることになる。

同時にそれぞれは、新たな事物を既存のものと区別できる別の文化として取り込もうとするため、生活世界に維持されてきた慣習的な意味づけの枠組みも無意識的なかたちで変化してく(241,2頁) 

 日常生活で具体的に目の前に異質な他者が現れることこそがカテゴリーを変容させるのだという話だろう。「男」「女」という二項対立でお互いに攻撃し合う「運動のイデオロギー」からは男女が理解し合う日は訪れない。しかし、カテゴリーの境界にある曖昧な場所にいる「女みたいな男」といった具体的な他者に日常生活で出会うことは、男女の歩み寄りを進めることができるかもしれない。

マジョリティ vs マイノリティというように抽象的なカテゴリーをお互いが勝手に引き合っているうちは争いは終わらない。抽象的な相手には気軽に暴力を振るえてしまう。いかに生活世界に異質さを滑りこませるのか。この誤配を起きやすくする方法を考えていきたい。