希望−−「ショーシャンクの空に」

映画「ショーシャンクの空に」を観ました。
以下、その感想です。(映画の内容にはまるで触れてませんがw)

希望と生きることは切り離せない、コインの表裏の関係なのでしょうか。
この映画は主人公アンディの、何十年にわたる刑務所生活の中でも色褪せない<希望>を描いています。
「希望があるから人は生きる」これはある程度妥当な考えでしょう。

ここでは希望を「未来を想定する行為全般」とします。なぜなら絶望に浸る人間には、未来は闇に飲み込まれた現在の全く変化のない真っ暗な延長としか見ることができず、未来を何らかの形で想定することは不可能だからです。

なにか、未来−そんな大層なイメージを抱かずとも、明日でも、一週間後でも−を想定することができるから、今日という日に昨日とは違う一歩を歩めるのだと思います。その歩みだした一歩がすなわち、その人の抱く希望の指し示す道なのでしょう。

では、逆にこうは考えられないでしょうか。

「人が生きていれば希望はある」

どんなに今日、未来が見えなかったとしても、生きている限りはその人の進むべき未来がある。進むべき未来があるならそれを指し示す道がある。それは即ち、今日に抱ける希望がある。大胆にも、そうに言うことは不可能ではないでしょう。

どんなに今に絶望していたとしても、生の歩みを断絶してしまわない限りはその人に未来はある。未来があるなら希望はある。
そうだとしたら、今に絶望するよりも、未来の希望を信じたほうがいいにきまっている。

「がんばって死ぬか、そうでなければ、がんばって生きるかだ」

この台詞は、この映画で2度登場しました。
希望のある人間は死ぬことはできません。どんなにがんばっても。死は、絶望を心の底でまで信じ込んだ人間にしか不可能な行動です。
がんばって死ぬ勇気があるならば、暗闇の荒野に進むべき道を切り開こうとする勇気があったとしても不思議ではありません。

絶望は<現在>にするものです。
希望は<未来>に抱くものです。

今、現在、それだけに生きることのできる人間はいません。
時間軸上の三点(過去、現在、未来)に渡って存在するのが人間です。
だから、人間は常に絶望し続けることはできません。
今日だけを見つめて生きることは不可能です。

だから、人間には未来があるから、「希望は人間を生かし」「生きている人間はかならず希望を抱く」のです。

絶望する"現在"は未来にその闇を伸ばすことはできません。

未来は(絶望から)希望という光によって守られている。

そう信じずにはいられない映画でした。