3.1

10年以上昔の話。

書斎にそいつはやってきた。
でっかいブラウン管のディスプレイと、フロッピーディスクドライブを二つ持ったそいつは、父が学校からもらってきたWindows 3.1を搭載していた。

インターネットなんてものが登場するのはまだ先の話で、家にあるフロッピーディスクを手当たり次第につっこんでは、そのカタカタカタカタカタって音に興奮した。新しいアプリケーションを買って、箱を開けるとフロッピーが10枚くらいついてきて、交互に何度もFDDに入れたり出したりしてカタカタカタカタカタって繰り返して。

フロッピーって言ったら、1.44MBしか入んないんだ。光ファイバーだったら1秒もかからない容量なのに、それを読み込むのに何分もかかったりしてた。

Windows 3.1って箱がなんなのかもよく知らなかった。まったくの未知の世界。未だ知らないことが楽しかった喜びだった。

そのころの自分の世界には知らないことばかりが溢れていた。
そして、知らないからこそ楽しくて、おもしろかった。
「なにも知らない」は「なにかとてつもなくハッピーなことがあるに違いない」だった。だからうれしくて、将来って言葉も輝いて見えた。


時は経る。
気づいたら、「何も知らない」は恐怖に変わっていた。
「知らないこと」は恥ずかしいことで、その先に「なにかとてつもなく悪いことがあるに違いない」に変わっていた。

いつから?

時には知るのが怖くて躊躇するようにもなった。

どうして?


あのころは、3.1がいたころは、まるでその正反対だった。

まだ遅くないはず。取り戻せる。あのころを。

未来は確かに不確かで、確実なことと言ったら死ぬことくらいだ。
そして、その「不確か」の、正規分布の左側ばかり見てる。
正規分布なのなら、それと同じくらいの右側があっていいはずだ。

よくひとに言われるけども、俺の人生のボラティリティは大きそうに見えるらしい。「とてつもなく金持ちになるか、とてつもなく貧乏になるか」ってさ。

なってやろーじゃんか。右裾まで突っ走ってやる。

ふざけんな、みてろよ、こんなちゃちー病気なんかに負けてたまっか。
生きて、生きて、生き抜いて、幸せに死んでやるよ。