カフェ −−幸せな時間と空間が在る場所

カフェの門を叩き、中へと入るとそこには外の世界とは違った世界、違った時間が流れているように感じます。

何十年も昔の時間が流れるカフェ

ずっと昔に時計の針が止まってしまったようなカフェ

この世界にはないような幻想をみせてくれるカフェ

そこには日常生活の背を焼くような焦燥感はなく、その場、そこだけの時間と空間が存在しています。
そこは、外の世界とは違う場所で、違う時間が流れ、違う空間が存在しているように思えます。

私は大抵どこのカフェでも一番端の席に座ります。
カフェの中でもそこが一番外の世界から遠くに存在しているように思えるのです。


カフェでの読書は他の机での読書とは違い、なんの焦りもなく、どんな学術書だろうと、一つの余暇として愉しむことができます。
だって、そこには焦るべき時間軸とは違う時間が存在しているのだから。

時間と空間。
それらは時計の針が正確に刻むようにしてではなく、定規に正確に測られるようにでなく、存在している。

時間と空間も人間が世界を認識するために作り出した概念にすぎなくて、それを人類全体が偶然にも共有できてしまっているから、まるでそれが絶対的に存在しているかのように思うに過ぎないのではないかなと最近思います。
触りだけ読んだドイツの凄く偉い童貞様も最初はこんな感覚が出発点だったのなら、なんか嬉しいなとか考えてしまいます。思い上がりですね。笑

ともあれ、カフェでの時間は、私にとって心の鎮静剤であり、とても大事な時間なのです。

そして、そんな時間を好きな人たちと共有できたらさらに幸せなのです。