「もう嫌だ!」から始まる物語
「もう嫌だ!」から始まる物語があってもいいと思うんだ。
その、もう嫌だという気持ちが深ければ深いほど、
なぜ嫌なのか、ということを突き詰め、考え抜く能力さえあれば、
マイナスからゼロへ、そしてゼロからプラスへと、物語は紡がれると思うんだ。
憧れだとか、世間体だとか、安定志向だとか、そういったものをベースに紡がれた物語よりも、
深い苦しみは、美しさを綺麗に縁取る額縁となりうる。
塚越健司は言う。
「人は絶望を念頭に置きながらでも希望を語ることができる。」
−Twitterにて
ゲーテは言う。
「当為と意欲はあるが、能力がない。
当為と能力はあるが、意欲がない。
意欲と能力があるが、当為がない。
即ち、
なすべきことを欲しはするが、それを成し得ない。
なすべきことを成し得はするが、それを欲しない。
欲し且つ成し得るが、何をなすべきか知らない。」
−リーマーへ 1809年5月30日
藤野寛は言う。
「shouldとwillとcanが一致した状態が、『ほんとうの自分』ってもんなんや」
−2009.1.26、ゼミにて
should:なすべきことは見つけやすい。それは外からやってくるものだからだ。
will:やりたいことは、見つかりづらいが、見つけることはできる。
can:自分の能力だけは、未知数だ。
しかし、見つけられるもの、すなわち、当為と意欲だけでもいいから、それを一致させようじゃないか。
なにを逡巡するか。
坂口安吾は言う。
「人間の、又人性の正しい姿とは何ぞや。
欲するところを素直に欲し、厭なものを厭だという、
要はただそれだけのことだ。」
−『続堕落論』