ちやほやされたい

 「ちやほやされたいんじゃないの?」ーー主に女性に対して遣われるこの言葉には、大抵否定的なニュアンスがふくまれている。しかし、それがなぜ否定的な意味を帯びるのかふと考えてみると、その答えは《社会の構築物》以外に見つからない。なぜならば、社会を括弧にいれてこの「ちやほやされたい」について考えれば、それは美しいパレート改善の図式となるからだ。「ちやほやされたい」という欲求を持つ個人の厚生は、当然、ちやほやされることで上昇する。同時に、その欲求に応じる個人は彼/彼女に価値を認めてーー承認してーーいる。勿論、その個人は彼/彼女をちやほやすることでその厚生を改善するわけであるが、さらにそれと同時にちやほやするーー価値を認め承認するーーことで、彼/彼女の存在の定立に大いに資しているのである。よって、ちやほやする個人はその利己的な行動の帰結として彼/彼女に「ちやほやされたい」という現前した欲求以上の存在の根本欲求も満たすことになる。二重の厚生改善を生じさせるのである。
 ただし、この「存在の定立」が「ちやほやされる」ことのみで完結することはないだろう。それが、その後の独占欲と、それが満たされない故の否定的なニュアンスに繋がっているとも解釈できる。