ナッシュ均衡解??
昨日はジョン・ナッシュの偉大さを感じた日でした。
ジョン・ナッシュの発見——現在もなおゲーム理論の中核をなす概念——は、個々人が正しいとそれぞれに信じている行動を取った場合において生じる。
その行動の結果得られる幸せよりも、相手の反応に配慮して自らの正義を赦した場合の方が、幸せになれる。
自分を利するためには、相手への配慮が必要で、相手を利するためにはそれ以上の配慮が必要だ。
——そのことを学んでいるから、ナッシュ均衡を智恵としているからこそ、ナッシュ均衡に導くために何人もの人に全く違うことを言い、各々の正義の限界を言った。
でも、言っても伝わるかは相手次第で、視野狭窄な人間は、自らの遠近法でしかもの事の尺を測ろうとせず、自分特性の望遠鏡を揺らぐ事なきもののように誇示する。
なんて弱き生き方だろうか。哀れで仕方ない。
様々な尺度に翻弄される現代、生きるためには自らのものさしは持たねばならない。
しかしそれが、「最初は私自身が作り始めた」ものであることを忘れ、<<絶対>>や<<安定>>が欲しいがためにその望遠鏡しか覗かなくなる。——そうしていれば心は鈍感になり、鋭利な刃物と化す。
自らの価値軸を他者に押し付けること——それはこれまで述べた「弱さ」に起因し、それを揺るがす発言をすると、「弱さ」の顕前を恐れた彼は激興する。
あな、哀れかな。
誰もが幸せになれたらいいのに。。。