「自由」?
最も嫌疑している言葉。
「〜してもよい。」を与えられた人間はその中から選び取り、「〜しなければならない。」を生み出してしまう。
結局は束縛に落ち着く。
社会が自由を標榜しても、個人が自身を束縛する状態に移行するだけで、状態は悪化していくのみ。
しかし、その「〜しなければならない。」もまた、常に破綻の危険性を孕む。
第一にそれはそれ自身の誤謬の結果として、第二にそれは外性要因によって。
結局、どこにも自由な人間なんていない。
結局、どこにも幸せな人間なんていない。
その事を知るとき、自分は――。自分は、この不治の病のお陰で、この不可能性をよく知っている。
――だから、自分の病気とそれとともに生きねばならない今後数十年ににそこまで悲観することはないことに気がついた。
俺は知っている。健康な人間は知らない。――生が制約されているという事実。
ただ、それだけの違い。
循環しない景気はない。
安定なんてない。あるのは火のような均衡だけだ。