補遺:私の行動様式との連関及びアイデンティティについて

先ほど、恋愛感情についての考察を行ったが、私がそのような恋愛感情を抱かれづらい(と自分では思っている)のは、私の行動様式に起因する部分も大きい。

私は、常に「安定」を欲している。毛布のような安定を。

そのため、「安定」のためならなんでもする。そして、できるだけはやく、可能な限り短時間で「安定」に辿り着こうとする。

つまり、恋愛感情における不安定さ(ある人にとってはドキドキ感)を解消しようと、解消しようと、行動する。その行動様式は、先ほど述べた不安定さを取り除く、ということから推察してほしい。

また、今回の考察では、対象を恋愛感情に絞って考えたが、これは一般にアイデンティティの問題とも言える。
恋愛は最小単位のアイデンティティの問題である。

アイデンティティを「自分らしさ」などと捉える嫌いが流布しているが、これはまったくの誤りである。それは、アイデンティティクライシスに陥った個人を想定すれば容易に想像できる。
それだけ「自分らしさ」があったとしても、それが他者によって担保されない限り、それは「自分」として安定的に存在できない。人間とは対他存在である。

アイデンティティとは、私の≪私の表象(イメージ)≫とあなたの≪私の表象≫が一致し、自分の「安定」が担保された状態であり、「私らしさ」という独我的な発想はそこでは一要素にすぎなく、この両者の表象を一致させる為の手段的価値しか持ってはいない。

そのことを解せずに、「私らしさ」を自分の遠くに見つけようと躍起に行動する人を私は好まない。「私らしさ」を担保してくれる他者は常に私の隣にいるあなたに違いないからだ。

遠くばかりをみていては、ほんとうのものをつかむことはできない。
真理とは、目の前にいくらでも転がっているものなのである。

※「対他存在」とアイデンティティの問題は以下の著作に詳しい

いま、働くということ (ちくま新書)

いま、働くということ (ちくま新書)