「貪欲で怠慢。所謂普通の人間だ。」−−今年の抱負にかえて

◇やる気保存の法則

ある閉鎖的な空間において、やる気の総量は常に一定である。
誰かがやる気を出せば、他の誰かのやる気は減る。

いや、単に実家であまりに自分がなにもしないから思いついただけなんですけどね。
たぶん、やる気に充ち満ちた環境にいたらなんもやんないと思う。
名誉欲とか、そういうんちょっと足りてないから。

だから、単独作業がいい。
評価してくれる人がいないほうがいい。

一度評価されるとやる気なくすから。


◇同情の到達範囲について

「他者は『顔』において立ち現れる」とかって誰かが言ってた気がするけど、言い得て妙だと思う。
実際に会った人にしか人間は同情もできないし、共感もできやしない。
人間なんてそんなもんだろう。

だから、「価格」のシグナリングだけを媒介とした純粋な市場では同情とかって起こりえないんだろうなーと思う。


◇人間の本性について

「貪欲で怠慢。所謂普通の人間だ。」とは小説でみつけた言葉。
心の奥底まではびこって離れない。それはこれが事実だからだろう。

ごく稀に、そうでない偉人がいたとして、その人が独裁的に意思決定すれば一番社会はよくなるんじゃないか?とは、アローの一般不可能性定理から自分が得たインプリケーションで、それを期待するなら経営者が妥当だな、と思うのは自分が商学部だからだろうか。

つまり、社会の0.001%位の偉人が経営者になり独裁的に意思決定し、上手い具合に流通システムとかを組み上げれば、貪欲で怠慢な人間の集合を操作して、色々な社会問題にアプローチできるんじゃないか、っていう研究の基本的なテーマ。

◇ひとががんばるときは

草の根からの力とか、大衆の力とか、まるで期待しない。政府にも期待しない。自分の人生にだって期待しない。
期待は、打ち砕かれることを前提としているんじゃないかとすら思える。

いや、しかし、最も人間が生産的になる瞬間はこういう時じゃないかと思う。

あらゆる不可能性に拘束されて、縛り付けられて初めて、ひとは生産的に思考し始め、生産的に動き出すのだと思う。
常に悲観的であることが、最も生産的であることの条件だと思う。過剰な期待はしない。いや、そもそも期待なんてしない。


◇結語

と、言うわけで、今年はポジティブなペシミストとして生きたいと思います。
本年もよろしくお願いいたします。