探しものはなんですか
「なんで勉強しなきゃいけねーんだよ。」
もっともな問いだ。
彼には勉強する目的がみつからないのだろう。
勉強することの意味は勉強する目的があって初めて与えられる。
何かをすることの意味は、何かをすることの目的があって初めて与えられる。
とすれば、目的を喪失すれば意味も喪失する。
では、目的とはどこから与えられたものなのだろうか。
恐らく、≪気づく≫前の人々は特に意識せずに「目的とは前もって与えられたものだ」と思っていることだろう。
そして実際、その昔は神が、現在は社会が、ある程度の目的を与えてくれている。
しかし、その神や社会が所詮人々の作り上げた虚構に過ぎず、絶対的なものではないと≪気づいて≫しまったら?
そして、神や社会が与える目的を信じられなくなってしまったら?
絶対的な目的と信じられてきたものを信じられなくなり、その意味を喪失してしまった状態、ニーチェはそれをニヒリズムと定義した。
ニヒリズムは通常苦悩のある状態だ。
目的がなく、従って意味もなく、しかし生きている。
それを苦悩と表現せずになんと表現しよう?