先日、秋葉原で猟奇的な殺人事件が起きた。
報道を見る限り、彼の生はとても上手くいっているとは思えなかった。
彼には苦悩があった。
彼の苦悩は、彼の生を頽廃させた。
そのデカダンスは彼に生きる目的を喪失させた。
生きる目的の喪失は、生きる意味の喪失へと繋がった。
「生きることの価値」彼にはそれがもう分からなかったのだろう。
≪そして、分からなかったからこそ、彼は血を欲したのだろう。≫
彼は、苦悩の発散を殺人に求めたのではない、そうに思う。
彼は、それだけ苦悩するほど≪生きたかった≫、そうに違いない。
生きたくなければ、生きることに苦悩はしないだろう。
旅行に行きたくなければ、忙しくて旅行に行く時間がないことに苦悩しないように。
彼の≪生きる≫はなんだったのか。
その答えを私は≪血≫に求める。
試しに剃刀の刃で腕を切ってみたらいい。
血が出るだろう。痛いだろう。
その実感は有無を言わせず、生きている実感に他ならない。
彼は確かめたかった。
苦悩の末に失った生きる意味というものを。
デカダンスは、生を頽廃させる。
しかし、それは乗り越えられるべきものである。
その喪失と苦悩の状態を「嫌だ」と思っている以上、
≪あなたは生きていたいのだ。≫
苦悩ほど、ひとから生きる目的、意味を奪うものはない。
しかし、苦悩ほど、ひとに生きる目的、意味を探させるものはない。
「目的、意味を探したい」と思っている以上、あなたは生きていたいと思っているはずだ。
神の死んだ世界で、あなたは自分の神を作らなければならない。
自分の奉じる目的は、自分で作り出さなければならない。
これは一つの拷問であり、同時に一つの偉大な可能性だ。
そう、あなたは自分の思うように自分の目的を作ることができる。
そう、あなたは自分の思うように自分の意味を作ることができる。
目的や意味がみつからないことに悩むあなたは、もうその悩みを持った時点で生きていたいと心の底から願っている。
あとは、打ち立てるだけ。
「生きていたい。」その気持ちには間違いはないはずだ。
支えてくれるひと、支えたいひと、そのひとたちのために生きる、
たとえばそうに思ったら、それが目的となり、そこから生きる意味が湧いて出る。
すべてを「自らそう欲した」と定立すること。
それこそが、あなたの生を救う唯一の手段。