純粋な感情

言葉は世界をとてもツマラナくしていると思う。

どれだけのことを言葉は語りうるのだろう?

純粋な感情はそれを言葉にした瞬間に消え失せてしまう。
誰かに愚痴ったら心がすっきりした経験は誰もがあると思う。

俺は、ある音楽やある絵画について詳しく分析された注が嫌いだ。
その注を読んだ瞬間から、その言葉の枠組みのなかでしかその音楽や絵画を感じられなくなってしまう。

確かに、なにかを言葉にすることで感情が昇華されることがよいときもある。
ときにはそんな言葉はより深く自分の心へと入っていく道しるべとなることもある。

でもそこにはもう、その芸術と対峙した瞬間の感動のそのままの形を失った、言葉の手によってねじ曲げられたものしか残っていないことには変わりない。

「良かった」「感動した」「好き」……こんなような感情をある程度包括的に述べられる言葉がーー一般的な考えとは逆にーーその芸術を最もよく表現できるんじゃないかと思う。

純粋な感情は言葉にされることがなければ、そのままの形で色褪せることなく心に残り続ける。(そうフロイトが言っていた気がする)

大いなる感情は、叙述しえないし、沈黙するべきだと思う。