悲劇、惨劇、そして希望
例えば、生きることも死ぬことも、避ける事の不可能な絶対なものであるということは事実です。
だから、「今日と言う日は、昨日死んだ人が必死に生きたかった明日なんだ。」
こうに思うだけであっても、今日を、今を、真剣に生きなければと喚起されるじゃないですか。
きっと、どんな喜びも美しさも、心に惨劇がなければただの茫洋とした心象に過ぎないことでしょう。
桜の樹の下には屍体が埋まっているという詩のように。
輝いた今日は、きっと、辛かった昨日があるからこそ手に入る。
心に惨劇があることによって、心の平衡は保たれる。
歴史上最も輝かしかったギリシア人は、だからこそ、悲劇を必要とした。
逆に考えれば、心に悲劇があるからこそ、その心は芸術を、芸術の精髄を捉えられるのです。
つまりは、すべてペシミズムは、強さをもたらす唯一のものである。そういうことだと思う。