「将来のことなんて考えたくない」は克服できるか

将来のことなんて考えたくない―。
しかし、将来のビジョンとは、過去の寄せ集めにすぎない。
つまり、これまでに生きてきた世界の因果構造のマップに頼ってしか、未来の青地図を書くことはできないということだ。一般に、想像力とは、現実世界の因果構造に支えられている。
では、なぜ、「将来のことなんて考えたくない」と思うのか。
それは、私の生きてきた世界で経験してきた因果構造の問題である。AならばB、BならばC...こういった連関で、思わしくない結果を何度も経験してきた。そうすると、想像の世界においても、Aの結果は同じく思わしくないものを描いてしまう。
将来のことを考えることは想像の世界での作業だ。それが、こういったプロセスをとるならば、「将来のことなんて考えたくない」と思ってしまうのも頷ける。将来のビジョンは過去の寄せ集めにすぎない。
しかし、このプロセスを断ち切らなければ、生きて行くことはそれ自体が辛いことになってしまう。いつまでも将来は暗い光に照らされたままだ。
どうすればいいのか。AならばDという新しい成功体験を積めば済む問題なのか。それである程度の解決が図れるとしても、その成功体験が偶然の産物にすぎないのならば、この問題へのソリューションとはなりえない。たとえば気分障害で社会生活を断念せざるをえなくなって、Aの結果が悪いものしかなくなってしまったひとに対して、AならばDを作り出す事業があっていいのではないか。精神病者の自立支援はこのDを支援するところから始まるのではないだろうか。
「自分は生きていてもいいんだ、自分にも未来はあるんだ」と思えるようになるために。

哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

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