2010年、私を殺しかけた本たちの記録

「今年、どんな本読んだっけな?」と考えると、一年の長さに気付かされる。
私の記憶に強く残っている本には二種類ある。読んでいて止まらなくなり、寝る間も惜しんで読んだ本。一方、対照的にあまりの言葉の強さに心が壊れそうになって投げ出した本。
後者については全部読めていないまま本棚の目立たないところに仕舞ってある。こういう本は自分を最も照らし出す鏡で、あまりに明るみに出されるが故に恐怖を禁じ得ない。その恐怖に真っ向から挑む覚悟を放棄した臆病者がその本を薦めるのもどうかと思うが、真に良著と思えるのはまさにそういった本なのだろう。

そういうわけで、今年の私の心を壊しかけた本たちを中心に時系列に沿って紹介したいと思う。あまりに私事すぎて恥ずかしさを感じないわけではないけれども。


1.ショーペンハウアー『意志と表象としての世界 3―中公クラシックス

この本は3年前から読み続けていて、いまだに読み終えてない。いや、読み終える勇気がない。
ショーペンハウアーが緒言で述べているとおり、この『3』に所収されている第四章から読んでほしい。
ショーペンハウアーの定義する「意志」とは「欲望」だとか「欲求」と読むのが正しい。
19世紀中庸、市場経済が成立する初期過程にあって、主体が欲望を満たすことによる他者の欲望の侵害が生み出した剥奪であったり貧困であったりが生じる課程が詳細に記される。
「効用最大化動機」の基礎付けとして受け取ると同時に、「他者の効用の犠牲なしには自らの効用の増加が不可能である状態」というミクロ経済学をかじったことのある人なら誰もが聞き続ける文句が頭の中をぐるぐるとかけ巡った。
それは、稲葉浩志のソロアルバム『Peace of Mind』所収の一曲「すべての幸せをオアズケに」のラップ部分、「その昔神様が決めた巷の定理 幸福は奪い合う一個の甘いケーキ そしてこのカラクリにハマったヤツらは全員同時の幸せは不可能!それでも不幸にビクつきながら 幸福を待ちわび毎日スラローム 不幸なんてものなくすために皆さん幸福を捨ててください」というフレーズを想起させた。
Peace Of Mind (通常盤)

Peace Of Mind (通常盤)

そして、そこから私の罪責感に繋がり、他者を欲望することも、欲望に突き動かされることも全て罪深いことに思えて、息苦しさが頂点に達した。
ショーペンハウアーはこの「他者の欲望の侵害」を倫理的に不正と診断し、その解決策として、同苦(同情)の原理(そして、意志の否定)を主張する。
「愛とは同苦(同情)である。」との命題が提出されるのもこの第四章だ。ショーペンハウアー哲学を、『同苦(ミットライト)の哲学』として捉え直す論者も多い。しかし私にはその帰結が「苦悩の伝染的な倍化」(西谷啓治)に思えてならなかった。続く欲望の否定の主張との連続性で考えても、この命題の帰結が欲望の否定であり、死であるように思う。
この論理と感謝の苦悩へのスパイラルから抜け出すために私が立てた問いは「愛とは同情なのか?」というものだった。また、アダム・スミスの「同感の原理」や、「共感ベースのコミュニティ」の限界への直感もこの問いを自分の探求したい問いとして深化させた。
そして、愛について真剣に論じている学問領域―精神分析学に傾倒していった。

2.フロイト「文化への不満」(中山元訳『幻想の未来/文化への不満』,光文社古典新訳文庫

幻想の未来/文化への不満 (光文社古典新訳文庫)

幻想の未来/文化への不満 (光文社古典新訳文庫)

フロイトの文化論はフロイトへの入門として一番良いように思える。「文化とは欲動断念である」という命題を自分のものとして受け入れた上で、欲動―それは他者を求め、自分のものにしたいと思うショーペンハウアーの糾弾する「不正」の源泉だ―をいかに現実に即すように修正させながら実現させていくか。欲動が充足されることすべてが不正とは限らないのではないか?愛は不正ではないのではないか?そんな可能性を嗅ぎつけたのがこの一冊だった。(※本当はフロイト全集所収の訳のほうがいいに決まってるけど入手のしやすさからこちらを選んだ。)

3.藤野寛「家族と所有」(『所有のエチカ』所収,ナカニシヤ出版)/藤野寛「自由と暴力、あるいは〈関係の暴力性〉をめぐって」(『自由への問い 8』所収,岩波書店藤野寛「主体性の理念とその限界」/藤野寛「アクセルホネットと社会的なもの」

所有のエチカ (叢書・倫理学のフロンティア)

所有のエチカ (叢書・倫理学のフロンティア)

生――生存・生き方・生命 (自由への問い 第8巻)

生――生存・生き方・生命 (自由への問い 第8巻)

どれも、副ゼミの先生の論文だ。「愛はなにより相手を欲しい、欲しいって思うことなんや」と述べる先生の論文はこの愛の暴力的で個別的なあり方を受け入れつつ、倫理的に善く生きるギリギリのラインを提示しようとしている。私の思考の転換点にはいつも藤野先生がいたといっても言い過ぎではない。「愛ってなに…」と悩み苦しむことがあったひとは必読の論文たちだ。ただ後二者の論文は手に入りづらいので来年、先生のホームページを作って公開にこぎつけたい。

5.サン=テグジュペリ『夜間飛行』,光文社古典新訳文庫

夜間飛行 (光文社古典新訳文庫)

夜間飛行 (光文社古典新訳文庫)

今年一番心を打った小説。生きていくことの覚悟とその覚悟が犠牲にしているたいせつなものたちの間で心が大きく揺れた。いくつか前の記事(愛するものの喪失という悲哀 - Men talking over coffee with smoking Ark Royal. http://d.hatena.ne.jp/r_onodr/20100727/1280162823)に感想を書いてあるのでそちらを参照してください。

6.木村敏『時間と自己』,中公新書

時間と自己 (中公新書 (674))

時間と自己 (中公新書 (674))

これもまた、気が狂いそうになって投げ出した一冊だ。昼から次の朝が開けるまで狂ったように読み込み、「分裂病者の時間」「鬱病者の時間」に続く最終章「祝祭の時間」に至って、祝祭=死=永遠の時間と自己について書かれている段で突然の恐怖に襲われた。
第一部の「もの」と「こと」の区別を読んで、今を生きている世界を見る視線が変わった。ぜひ第一部だけでも読んでほしい。


…と、ここまで緊迫した読書の履歴ばかり書いて、「それじゃ身が持たないだろう」と思えてきたので心の癒やしに読んだ小説を。

7.有川浩阪急電車」「図書館戦争シリーズ」

阪急電車 (幻冬舎文庫)

阪急電車 (幻冬舎文庫)

有川浩作品はどれも現実の3センチ上くらいの妄想に逃げられるので大好き。恋愛ベタ甘小説なので甘いものニガテな方はご注意ください。笑

そして最後に
8.浅田彰『構造と力』

構造と力―記号論を超えて

構造と力―記号論を超えて

知的興奮を一番覚えた本。読んでいて楽しくて仕方なかった。


…こんなところだろうか。
これでより一層、「専攻は交通経済学です」という言葉が信じてもらえなくなるような気がする。笑
来年は、専攻よりの本をもっと読むことになるだろう。

今年ほどの狂気に触れられるだろうか。今年ほどの知的興奮に触れられるだろうか。
それを決めるのが私の能力なのだろう。すべてを決めるのはココロなのだから。

2010年の終わりに