車椅子の女性をみて――依存に関して
夜道を谷保駅から歩いて帰っていた。
谷保駅のあたりには3年間ほど暮らしていたので、あちこちに記憶が染み込んでいる。
見る景色ひとつひとつがよすがとなって、記憶の色彩が胸に甦っては消えていった。
輪郭はもうぼやけてしまっていたけれど、甦る鮮やかな色彩たちに自分の生きた時の強度を改めて知り、胸にこみ上げる思いは、今見る景色を優しいものにしてくれた。
疲れ果てた歩みも次第に確かになり、しまいには走り出していた。
その道中、学園通りの信号を待っていると、横に車椅子のおばあさんが並んだ。
こんな夜中で暗くて危険だな、段差もあるし大変だろうな…と眺めていた。実際に、なかなか疲れた様子でもあった。
もしよかったら、押しますよ、と声を掛けていた。
――いえ、大丈夫ですよ、と返されるのは容易に想像がついていたし、ただのその時の気分の押し売りだったのかもしれない。
辛苦に耐えて生きている人間には、ある域値が必要なのだ。自分でやること、他人に頼ることの間に明確な域値を設定できなければ、他人の優しさに掴まったまま、時の流れの先に遠洋へと出ていくことになる。
その如何に危険なことか、その他人の優しさという浮き輪を失った途端、彼女は溺れ死ぬ。
そして、他人の優しさをこの先も変わらず想定することは明らかな誤りだ。
そこにどんな愛があろうとも、辛苦に手を差し伸べることは辛苦である。差し伸べ続けることは、その愛をも失わせるほどの辛苦である。
容易に想像がついたと言ったのはそういう訳からだった。
彼女からは確かに、その愛と情の分岐する点を知っている感じを受けたのだ。彼女は域値を持って生きている、と。
これはなにも車椅子での生活を余儀なくされたひとに限ったことではない。
誰もが、誰かを見つめて、少しずつ誰かに依り添って、存在している。
依存と人間は切っても切れない関係だ、と『今夜すべてのバーで』のなかで中島らもが言っていた。
親子、恋愛、仕事…。適切な距離を探して、自分で立つべき限界点、域値を定めなければ、私たちはいつか来る悲哀に耐えきれないだろう。