景気循環と不況期に於ける合理的期待形成の果たす役割について
気分循環症、時々双極性II型。
最近は症状が緩和して、軽鬱位だけれども。
不況にコストがあるのは勿論、好況のインフレにコストがある。前回の不況期は年末?
今回の景況悪化は実物的要因が強いかもしれない。とりあえず、一致指標は芳しくない。
先行指標は……まぁ適切な処方箋と長期的視野に立った合理的期待を持てば、悪いかどうかは自分次第。
どうにもここ2日、元気がでない。しかし、理由がみあたらない。理由がみあたらないのであれば気分障害の所産であろうと結論付けるのは特に早計という訳ではないだろう。
気乗りしない。本の頁を繰る手が重い。本の論理構成を鳥観的に構築できない。あまり物事が楽しくない。思考回路が悲観的。色々と面倒になる。
一人暮らしで、綺麗な部屋と美味しい手料理と、生活習慣を維持しようという意志は折れず、それだけが生を支えている。
生活習慣、という意図だけで8時に起きて、寝たかったけどタリーズまで出てきてみた。
ブレンターノの哲学は魅力的なはずなのに惹かれない。フッサールの章を繰り始めようとして手が止まりはや1時間。
ハーバーマスを読みたいのだが、そこに行き着くには現象学、ハイデガー、フランクフルト学派第一世代等々、理解へ至るプロセスは、要約された本でも200頁を超す。
ある思想に至る歴史を理解してなければ、その哲学者の魂との邂逅は有り得ない。面倒な手続きだ。
20世紀、理性の暴走が引き起こした戦争と大量虐殺の後、それまでの理性信奉は崩れ瓦礫となった。
今の自分のような鬱屈とした気分だったのだろうか。閉塞感、危機感、絶望感。20世紀の哲学はそれらに動機付けられている。
なら、自分もこの理由なき鬱屈を、転化し原動力に昇華できるだろうか。
今こそ、試されている気がする。
「気乗りしない。憂鬱だ。」その言葉で自分を納得させ、なにもしない自分には戻りたくない。
戦え。これは戦争だ。自分の闇という悪魔との。
負けてたまるか。
「人の痛みなど知る暇もない、なんて儚いダイヤモンド」と稲葉が唄うならば、人の痛みを知り共苦する苦痛こそがダイヤモンドであるのだろう。
そう信じて、折れない自分を。
克己、正確には克病。
うだうだ言ってなにもしない時期はとうに過ぎたはずだ。
立て。
進め。